ココズレ2でハライチ岩井の「障害がなくなるかわりに他の誰かが障害者になるとしたら?」という質問の何がいけなかったのか

つぶやくにしては長い話
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「最もズレてる健常者」?ハライチ岩井

昨日NHK『バリバラ』を観ていた。

『バリバラ』は、いろんな障害を持つ方が、自分の障害や生活などについてざっくばらんに話す番組で、性の話題などけっこうつっこんだこともテーマになるのでおもしろくて、たまに観ている。

昨日の『バリバラ』は、「脱・MZK!(最もズレてる健常者)」という企画だった。

MZK?なんじゃそら。

と思ったら、前に放送された『ココがズレてる健常者2~障害者100人が物申す』(以下、『ココズレ2』)という番組のなかで、ハライチ岩井が「最もズレてる健常者(MZK)」に選ばれたということらしい。

気になったので、『バリバラ』を見終わったあとに『ココズレ2』の動画を探して観てみた。


ココズレ2「ココがズレてる健常者2~障害者100人がモノ申す~」

「健常者タレント」と「障害者100人」が話して、「障害者と健常者の意識のズレをうめていこう」という趣旨らしい。

にしてもMZKって……わたしはそもそも「障害者側が一方的に健常者をジャッジする」という構造自体がなんだかなぁと思ったけれど、まぁバラエティ番組ってそーゆーもんだから、と言われればそれまでっすね。

てなわけで、 「健常者から障害者への究極の質問」というコーナーのなかで、岩井が障害者からの大ブーイングで「MZK」に選ばれた原因となった質問がこれ。

「障害がなくなるかわりに他の誰かが障害者になるとしたら?」

「健常者に生まれたかったですか?」という質問と何が違うのか

岩井の質問に、障害者の方たちの多くは即座に拒否反応を示した。ざわざわが広がり、批判的な声が聞こえてくる。

司会の鈴木おさむが「この質問何かおかしいだろと思う人?」と問いかけるとほとんどの人が手をあげた。

岩井は説明をもとめられて、

「先天性の障害だったら結局確率というか、運というかで自分がこう…なっちゃってるわけじゃないですか。

それだったらなんか、自分じゃなくてもよかったんじゃないかっていうふうに思っちゃうかなって」

上に貼った動画では番組の最初の部分がカットされているけれど、他の動画で全編見ると、最初の方でFUJIWARAの藤本が

「健常者に生まれたかったですか?」

という質問をしている。

これもけっこうな質問に思えるけれど、この質問に対してはブーイングは起こっていない。ちょっと空気はピリッとしたけれど。

そしてこれは最初から「そういう人」をピックアップしたのだろう、司会がある聴覚障害を持つ人に話をふるとその人は、

「聴こえないことで満足しているので、聴こえるようになりたいとは思わない。聴こえない方がいい」

と言い、

「へぇ。そういう人もいるんだ」という風にタレント側は驚きながらも「納得」する、というかたちで話は終わっていた。

そのやりとりのあとの、岩井のあの質問である。

「障害がない方がいいと思うか?」

という意味では、藤本の質問と同じに思える。

じゃあ岩井の質問の何が彼らをイラだたせたのか?

障害者の方たちの反応から想像する、彼らの怒りと恐れ

岩井の質問に対する障害者の方たちの反応を見ると、結局誰も直接的に質問には答えていない。

最初に発言した解離性同一性障害の藤間さんは、

「わたしの障害を今すぐ差し上げたいです」と岩井に向かって両手のひらを差し出した。そして、

「でもそうやって言われたらどう思います?」と続ける。

言い方がちょっと攻撃的で、これが質問に対する答えではなく、あくまで岩井に対する皮肉であることがわかる。

そのあとに発言した他の方たちも、

「自分が健常者になりたいと願ってしまったら、今までの自分の人生を否定することになる」

「(岩井にむかって)闇の深さを感じました」

「質問がよくわからない。理解ができない」

「質問の趣旨が…どこ指してるんだろう」

と、誰も質問に直接的には答えようとはせず、岩井に対して批判的であったり攻撃的であったりしている。

それはきっとこの質問が、彼らの痛いところをついてしまったからだ。

障害者の方たちが、自分の障害を肯定的にとらえて受け入れていこうとするなかで、岩井の質問のようなネガティブな思いを抱かないようにしてきたのに、岩井がそこに無自覚に触れてきたことに対する怒り。

障害がある今の自分を「これでいい、これがいい」と自分にも対外的にも言うことで、築いて守ってきた自己像が崩れてしまうことへの恐れ。

それらが反射的に、岩井に対する拒否反応および攻撃として現れたのかなあという気がした。

自分を守るためにくるっと丸くなって針を出すハリネズミのような。

「こちとらその感情とどんだけしんどい思いして折り合いつけてきたと思っとるんじゃあ!!軽々しくそんな質問すんなボケ!!」

って怒るか、

「まぁそりゃそんなふうに思うこともありますけどそんなことできないし、受け入れてやってくしかないですよね」

って淡々と言う人がいたら、またそこから一歩踏み込んだ話ができるというか、24時間テレビ的なファンタジーから抜け出せるような気がするんだけどどうなんだろう。

とりあえず今回の岩井と障害者の方たちとのやりとりでは、理解が深まったようには見えなかった。

にしても、岩井の質問の前に、藤本の「健常者に生まれたかったですか?」という質問を持ってきて、

「障害があってよかった。健常者になりたいとは思わない」という人をピックアップして話を終わらせる、という台本は、すごくいやらしい構成じゃないか?と思った。

この番組を観てたら、アドラーが言ってた「自己肯定」と「自己受容」は違う、っていうのがなんかすごく腑に落ちたし、アドラーの教えがすごく厳しいものだと言われているということも、やっと意味がわかった気がする。

ひきつづき考えました。

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